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INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

マネックスグループ株式会社 代表取締役社長 CEO 松本 大

世界150ヵ国に顧客をもつ金融グループを築いた起業家

空気を読むな。勝手なマネをしろ。そして組織を変えてゆけ

マネックスグループ株式会社 代表取締役社長 CEO 松本 大

世界12拠点・1,000名超の従業員が150ヵ国・100万人以上の顧客にサービスを提供するマネックス。15年前、代表の松本氏をはじめ4名でスタート。国内初のオンライン証券サービスを展開して以来、業界に旋風を巻き起こし続けている。今回は同氏に、株式市場の専門家として2015年のIPO市場を見通してもらうとともに、ベンチャー起業家が成功するための秘訣を聞いた。
※下記はベンチャー通信59号(2015年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

かつてないほど大量の資金がベンチャーへ流れ込んでいる

―国内IPO社数が5年連続で増加し、2014年は77社に達しました。2015年の見通しを教えてください。

 今年はさらに増えると予想しています。100社の大台に乗るかどうか、といったところでしょう。
 アベノミクスが始まって3年目。効果のさらなる浸透が期待されることから、景気が当面大きく落ち込むとは考えにくい。ROEを高めたり株主還元を増やしたりするなど株価を押しあげる企業の動きも活発ですから、おそらく株価は堅調に推移するでしょう。
 また、量的緩和の余波でベンチャー企業におカネが流れ込み、ベンチャーキャピタル(以下、VC)が関与する会社が増えています。そうなると上場に向かう動きがさかんになる。結果としてIPO社数を押しあげていくことになるわけです。

―過去にもIPO市場が活況を呈し、ベンチャー企業がもてはやされたことがありました。それらのブームと、いまの状況との違いはなんでしょう。

 資金の量です。ベンチャーにこれだけおカネが回るようになったのは、はじめてのことでしょう。過去の“ベンチャーブーム”の時代とは違って、日本でもVCが充実してきています。これまで少なかったアーリーステージへの大型投資も増えてきました。
 投資スタイルも変化しています。多くの企業におカネをばらまいて「どこかが成功してくれればいい」というのは過去の話。最近ではVCのスタッフが投資先企業のボードメンバーにくわわる動きも見受けられます。そのおかげもあり、近年のベンチャー企業は経営の質が全体的に高まっている。会社づくりには一定の勝ちパターンがありますから、そのパターンを熟知するVCの関与が好影響を与えているのでしょう。

IPOはゴールではない「成功しきる」まで継続成長せよ

―現在の活況をブームで終わらせず、ベンチャー企業を輩出する風土が根づくまでに発展させるために、起業家に求められることはなんですか。

 3つあります。ひとつは「ときにはVCのいうことをきかない」という心意気。勝ちパターンを熟知しているVCに従っていれば、失敗するリスクは低くなる。でも、失敗や回り道がその後の大きな成長につながることがありえる。また、過去のパターンにあわせるだけでは真に革新的といえるビジネスモデルが生まれません。
 だから起業家には、VCの意見を受け入れて失敗リスクを減らしていくことと、我流を貫いて大化けをねらうことのバランスをとることが求められます。
 次に、適切なバリュエーションです。「できるだけ高いバリュエーションでファイナンスを行いたい」。多くの起業家はそう考えます。しかし、過度な期待形成をしてしまうと、それにこたえられない企業が出てくるはず。株価の暴落などのリスクを高めてしまう。
 いまは大量の資金が回っています。ステージごとにペース配分しながら期待をコントロールしていっても、十分なファイナンスが可能です。「強気に攻めたい」という気持ちはわかりますが、中長期的な成長のためにもペース配分の意識をもってほしいですね。

―3つめに必要なことはなんですか。

 「成功しきる」ということです。IPOを果たすことが成功ではない。上場したはいいが、その後の株価が低迷したり、業績が頭打ちになってしまったりする会社が多くあります。「成功しきる」とは、継続して事業を大きく育てて、利益を出す。配当金を支払い、法人税を納める。それを継続し、社会に貢献する企業体となることです。
 そんな企業を“お手本”にして、あとに続く起業家が出てくる。この積み重ねが、ベンチャーを輩出する風土醸成になるんです。

どれほどストレスがあっても高みをめざすのがベンチャー

―松本さんを含め4名で旗あげしてから15年で、従業員1000人超に成長したマネックスも“お手本”だと思います。そこまで成長するうえで、いちばんの大きな壁はなんでしたか。

 創業から一緒にやってきた幹部が抜けたことです。設立10年が過ぎたころで、ちょうど会社が大きく変わろうというときでした。その時点で300名規模。そこへ米国企業を買収する話が出てきた。実現すれば一気に1000名近い規模のグローバル企業になる。
 私からすると、まさにその幹部のチカラを必要としていたタイミングでした。それまでの組織づくりの最大の功労者。大規模化した後、みんなをまとめていくのにその才能を発揮してもらいたかった。しかし辞意は固く、抜けた穴を埋め、新たなやり方を構築するまでに非常に苦労しました。精神的なストレスも大きかったですね。
 いまから思えば、その幹部は会社のステージが変わっていくことを感じとって、「もうついていけない」という精神状態だったのかもしれません。ベンチャー起業家はつねに新しい絵を描いて、次のステージをめざしていくもの。その過程で、必ず変わらなくてはいけないときが来るのです。たとえば「上場する」「グローバル展開を始める」。いままでと同じではいられません。メンバーを代えるか、やり方を変えるか。変化しなくては対応できないのです。
 その変化が同志と呼べるようなメンバーの退社であっても、受け入れなくてはいけない。ストレスをともなうことですが、つねに成長をめざしていくのがベンチャーのDNAでしょう。

「社長のやり方はおかしい」そう公言できる人財を求める

―企業として変わり続けるなかで、次のステージをになう人財をどう育成しているのでしょう。

 キャパシティ以上のタスクを与えることです。できる仕事のキャパシティが100のメンバーがいるとしましょう。私は300くらいのタスクを与える。そうすると、がむしゃらにがんばって120とか130の結果を返してくれる人が出てくる。
 そうやって自分の限界をいちど超えさせると、そこから飛躍的に伸びるもの。すぐに1000とか2000ぐらいの大きな仕事をまかせられるようになります。

―求める人財像を教えてください。

 KYなヒトですね。その場の空気なんかおかまいなしに「こんなサービスはどうですか」「社長のやり方はおかしい」などとガンガンいえる。そして、どんどん勝手に動いてしまう人財がいいですね。ただし、なにを考えているのかきちんと説明できる国語力とコミュニケーション力は必要です。これがなければただの空気の読めないヒトになってしまいますから。

―なぜ空気を読まないほうがいいのですか。

 自ら変化していく会社にするためです。周囲の顔色をうかがっての発言や行動は、その組織が歩んできた道の延長線上のもの。空気を読まないメンバーの勝手な動きは、その組織にとって新しい領域へのチャレンジになるんです。そうやって動いてみてはじめて、それがよい方向なのか、間違った方向なのかわかる。そのうえで、よい方向を選んで進む。
 この積み重ねが企業を変化させる。結果として自ら変わっていける組織になるわけです。KYなメンバーがいなければ、これまで通りの道を進むだけになってしまう。それでは生き残れないのです。

国境を越えて意見が飛びかう真のグローバル企業になりたい

―今後のビジョンを聞かせてください。

 ビジョンを自分たちで変えていける会社になること。ある時点におけるビジョンはすぐに陳腐化します。設立15年もたてば、創業時のビジョンなど骨董品です。どんどんビジョンを変えていける組織でありたい。
 ひとつ具体的にいえるのは、真のグローバル企業になることです。香港や米国の企業を買収して、世界12拠点をもつグループに成長しました。当然、異文化の交流が起きる。違う価値観がぶつかることで、新しいアイデアが生み出されて、企業の変化対応力が高まるのです。
 ですが、現時点ではまだ「日本は日本」「米国は米国」となりがち。今後は、日米のメンバーどうしが日常的に意見をぶつけあうような環境をつくっていきたいですね。

―ベンチャーへの就職や起業に関心のある学生にメッセージをお願いします。

 起業をめざしてほしい。そして法人税を納め続けられる会社をつくってほしい。
 ヒトは生まれてからずっと扶養されているのです。親に育ててもらうだけでなく、国の税金で運営されている学校で教育を受け、上下水道や道路が整備された環境で安全に暮らしている。ならば、どこかで扶養される側から扶養する側に変わらないと、社会は成り立ちません。
 自分が「扶養する立場に立った」といちばん実感できるのが、自分が起こした会社が法人税を納めること。私自身、人生でいちばん感動したのは法人税を納めた瞬間です。これでようやく、一人前になった気がしたからです。志のある人はぜひ起業して、新しい価値を創造してほしいですね。
PROFILE プロフィール
松本 大(まつもと おおき)プロフィール
1963年、埼玉県生まれ。1987年に東京大学法学部を卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社(現:シティグループ証券株式会社)に入社。1990年にゴールドマン・サックス証券株式会社に転職し、1994年には同社史上の最年少でゼネラル・パートナーに就任する。1999年に株式会社マネックスを設立。オンライン証券サービスの草分けとして支持を集め、設立からわずか2年の2000年8月に東証マザーズに上場。2005年に東証一部上場。2008年にマネックスグループ株式会社に社名変更。MONEYのYをアルファベット順で1文字前のXに置き換えた社名には、「未来の金融サービスをつくる」という意思が込められている。
企業情報
設立 2004年8月
資本金 103億9,355万円
売上高 547億2,200万円(2014年3月期:連結)
従業員数 992名(2014年3月時点:連結)
事業内容 金融商品取引業などを営む会社の株式の保有
URL http://www.monexgroup.jp/
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