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不動産業界の起業家インタビュー

不動産下積み時代を養分にして自分の人生を自分で切り拓いてきた

株式会社Presi 代表取締役 石井 雄也

収益用不動産をあつかう大手企業で“殿堂入り社員”と呼ばれるほどの営業成績をおさめ、2015年に独立。不動産業界の関係者から注目を集めるなか、着実に実績をあげているのがPresi(プレジ)代表の石井氏だ。栄光に輝く人生を歩んでいるかに見える同氏。しかし、じつは20代前半に大きな挫折を味わっていた。そこからどうやって這い上がったのか─。成功までの道のりと、不動産事業にかける想いを石井氏に語ってもらった。

※下記はベンチャー通信68号(2017年6月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

叔父の一喝で捨てた小さなプライド

―事業内容を教えてください。

 収益用不動産に適した土地や物件の仕入れがおもな事業です。グループ会社のPresi建設が土地の利活用をプランニングして開発、その後のリフォームまで請け負います。それら案件はPresi-Xが販売、リーシング、管理、再販売を担当しています。収益不動産にかかわることならばすべて、グループ内でワンストップで対応できる体制を整えています。

 スタートアップの不動産会社の場合、仕入れから管理までのどこかに特化することが多い。その点、当社は収益用不動産の「入り口から出口にいたる全過程」をカバーしています。前期の売上高は17億円となりました。

―起業家としてのスタートは順調ですね。

 いいえ。じつはいちど失敗しているんです。21歳のときに不動産会社を設立したのですが、結局3ヵ月でたたみました。原因は私が世間知らずだったことです。

―それでどうしたのですか。

 知人の紹介を受け、不動産業界では有名な会社に入社。「いちどは社会に出て下積みをしなければ、成功はつかめない」と痛感していたからです。「丁稚奉公でもなんでもやろう」と。しかし、想像以上に仕事は厳しかった。まずは社会の常識やエトセトラを学びました。はじめの3ヵ月は「営業に行きたい」と言っても行かせてもらえず、上司からも厳しいことを言われ続けた。そんなことがあり、入社して1年後に同社をいったん辞めました。自分にも意地やプライドがありますから。

―なるほど。でも、「下積みをしよう」と考えて入社したんですよね。

 はい。そのことで叔父に一喝されました。

「22歳の若造に意地もプライドもあるか。その会社に戻れるまで、こちらには連絡してくるな」と。ハっと気づきました。「自分はその会社に受け入れてもらっている立場だ」ということを忘れていたのだと。それで、入社のときに紹介してくれた方が社長に謝ってくださり、会社に戻れたのです。「もう次はないな…」と、いま思えば、この時に腹が決まったのかもしれません。同社では当たり前のことですが、「ウソはつかない」「人に頼まれたことは良くも悪くも必ず答えを出す」という、“人としての基本”や“信義”を学ばせてもらいました。なにより、いろいろな角度での不動産の見方や分析力と、“勘”の利かせ方を学びました。

「殿堂入り社員」の陰に地道な努力あり

―その後、大手不動産会社に転職したそうですね。理由はなんでしょう。

 営業として思いっきり力を試したかったのです。宅建士試験に合格後、収益用不動産の分野で大手であるオープンハウスに誘われたのを機に、転職しました。

 早く実績を上げたかったので、一日中、不動産仲介会社を訪ね歩き、信頼関係をつくり上げました。そうして水面下の物件情報をもらえるようになり、早く売れそうな物件は、購入を即断即決。社内のルールにより、5億円以上の物件は稟議が必要で、最終的に稟議が通らずに買えないこともありました。そのときには必ず仲介会社の担当のところに出向き、誠心誠意謝りました。基本といえば基本ですが、これをやらない営業はけっこう多いんです。私の場合、このおかげで不動産仲介会社の方に信用してもらえました。

 こうしてガムシャラに働き、入社1ヵ月で7億円の商談をまとめあげました。その後も毎月の売上目標を300%達成。在籍中には、会社の投資検討委員会の反対を押し切って6億3000万円で買った物件が、アメリカのファンドに14億円で売れたこともありました。これがきっかけで会社初の「殿堂入り社員」になりました。

恩師のひとことで起業後のピンチを脱出

―大きな成果をあげた社員時代を経て、Presiを起業しました。理由を教えてください。

 「先が見えた」というのが理由ですね。「殿堂入り社員」になり、次長に昇格。仕事もルーティン化してきて、「ここで学ぶものはもうなくなった」と感じました。最初は100~200億円規模の物件をあつかうファンドに転職することも考えました。もしくは野村證券に転職しようかとも。しかし最終的には“ある方”との出会いにより、「機は熟した」と感じ、再び起業を決意しました。

―事業はすぐに軌道に乗りましたか。

 いいえ。開業した当初は銀行からお金が借りられず、苦労しました。売買のサイクルが回りだすまでは資金繰りが厳しかったです。

―どう乗り越えたのでしょう。

 1月に開業したのですが、4月に買った6物件が全部売れて、危機を脱しました。

 私は会社員時代も、「自分のおカネ」で物件取引をしているつもりでした。「真剣だから、こんなに結果を出せているんだ」と思っていた。その私が“イザ、自分のおカネと責任で物件を買う”という段になった途端、足がすくみ決断できなくなってしまったんです。私は業界での恩師である某社長に、「失敗したらと思うと、なかなか購入に踏み切れないんです」と打ち明けました。

 そうしたらこう言われたのです。「儲かるチャンスがあって、最後損しなければ儲けもん。それは“勉強代”だ。それだけで“儲け”だと思え」と。そのひとことで覚悟が決まり、購入に踏み切れたのです。

45歳までに時価総額2兆円企業を目指す

―今後の目標を教えてください。

 今期の売上高100億円、翌期には300億円を達成し、それを足がかりに、私が30歳になる2020年までに売上高1000億円、45歳までに時価総額2兆円を目指しています。

 さらに将来、街を丸ごとひとつ創造することをやってみたいですね。Presiが大きくなって、社員が1万人くらいになったとき、たとえば首都圏郊外に10万坪くらいの土地を買って、家から商業施設から全部つくる。不動産の本質は、転売でも仲介でもなく、「街をつくること」だと思っていますから。

―その夢をどのような人とかなえたいですか。

 「なにがあっても続けられる人」「志の高い人」「イヤなことや怖いことから逃げずに立ち向かえる人」ですね。自分の人生を切り拓けるのは自分だけ。その気概をもって全力でぶつかる。そんな人に来てほしいですね。

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