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レックス・ホールディングス 代表取締役社長 西山 知義 イメージ

失敗が全て

西山 知義

株式会社レインズインターナショナル代表取締役社長。1966年3月、東京世田谷生まれ。大学を中退し、不動産会社に入社。一年後に退社して、不動産賃貸管理事業で独立。96年に『炭火焼肉酒屋 牛角』直営一号店をオープン。その後、ベンチャー・リンクと提携し、全国にFC展開を図る。2000年12月に店頭公開。『牛角』の他にも、さまざまな業態を開発している。

失敗が全て
設立 1987年6月27日
資本金 90億6600万円(2006年9月30日現在)
売上高 -
事業内容 持株会社としての、グループ経営戦略の策定・推進、グループ経営の監査、その他グループ経営管理等
従業員数 レックス連結2052人(2006年6月30日現在)
URL http://www.rex-holdings.co.jp

いま話題の焼肉店『牛角』を展開している西山知義。その勢いはまさに破竹の勢い。その西山の半生は凄まじいの一言。小さい頃に父親の会社が倒産。借金取りが家にまで押しかけた。独立すれば、今度は社員による横領事件が発覚。人間不信に陥る。そしてマクドナルドでアルバイトをしながら、“経営とは何か”を学んだ。成功までの道のりは、つらく険しかった。しかし幾度の失敗にもめげることなく挑戦し続けた男は、焼肉店『牛角』の創業によって成功をつかんだ。その西山の波瀾の半生を追ってみた。

西山知義は1966年に東京世田谷で生まれた。父親は宅地造成業を営む不動産会社の経営者。家庭は裕福だった。しかしその恵まれた生活が一変したのは、西山が小学生の頃だった。父が経営していた不動産会社が倒産したのだ。
 家計は苦しくなり、借金の取り立てが家にまで押しかけ、母親は泣いた。また借金返済のために、自宅も人手に渡る。この体験から、西山は「リスクを常に考えるようになった」という。
 そんな西山も何とか大学には進学。学生時代は、その当時、流行っていた学生ビジネスをはじめる。イベント企画や企業の学生向けマーケティングなどを請け負い、会社も設立。とはいっても、所詮は“学生ビジネス”。「経営をきちんと学びたくて」、大学は中退した。若くても独立しやすい不動産業界に就職した。
 不動産会社で賃貸営業の仕事を一年間続け、87年6月に21歳の若さで独立。渋谷に不動産賃貸管理会社『レインズ』を設立した。その後、事業を内装工事業まで広げ、世田谷桜新町にも拠点を置き、従業員も20名を超えた。
 しかしバブルも崩壊し、先行きも不透明になった頃、西山は「もっと差別化の図れるビジネスをしたい」と思うようになった。そこで考えついたのが、焼き肉店だった。当時、焼き肉店のほとんどは個人経営で、全国的に多店舗展開している会社は少なかった。その市場に目をつけた西山は、「マクドナルドのようなマニュアル化したシステムで市場を開拓できる」と確信。
 96年に東京の三軒茶屋に『炭火焼肉酒屋 牛角』直営一号店をオープン。そして、その店を繁盛店にした西山は、その後も出店を続け、97年秋には、FC一号店を東京渋谷にオープンさせた。またFC支援で実績のあったベンチャー・リンクとも提携し、全国に『牛角』のFC展開を図る。その間、さまざまな業態も開発。「しゃぶしゃぶ温野菜」、「鳥でん」、「すしのかがり家」など多彩な業態の外食FCチェーンを展開。
 また2000年12月には店頭公開も果たした。一見、順風満帆のように見える西山の起業家人生。しかしそこには凄まじいほどの絶望的な人間ドラマがあった。「失敗から全てを学んできた」という西山に、その“失敗”について聞いてみた。


スポーツが好きだった

―小さい頃の西山さんは、どのような少年でしたか。

西山:小学校低学年の頃は、いじめられっ子でした。でも体が他の子よりも大きくなるにつれ、自信がついて性格も変わりました。またスポーツが好きで、小学校の頃に野球、中学校の頃にバスケをしていました。私の場合、勉強はできなかったので、スポーツを通して成功体験を積んできました。つまり何事も一生懸命に練習を積めば必ず強くなれると、スポーツが私に教えてくれたんです。

お前の親爺はどうしようもないヤツだ!

―小さい頃から起業家を目指していたのですか。

西山:そうです。小さい頃から社長になりたかった。またうちの父親も起業家でした。父は不動産屋を経営していて、テレビCMを流すくらいの会社だった。その父を、私はすごく尊敬した。
しかし小学校の頃、その父の会社が倒産してしまい、生活が一変しました。家に借金取りが来て母が泣いたり、家族に相談もせずに父が勝手に自宅を売り払ったり。もう生活は無茶苦茶。また父が豪快な性格だったので、会社が倒産しても平気だった。
 でもそんなある日、忘れられない事件が起きました。私と母が渋谷を歩いていた時、父の会社の社員だった人が近寄って来て、私にこう言ったのです。「お前の親爺は、どうしようもないヤツだ。さんざん社員をこき使った挙句、最後の給料もきちんと払わない」と。このことは、衝撃的でしたね。
 確かに倒産後の父は哀れでした。「俺はいずれデカイことをしてやる!」と言っても、その父の言葉がすごく軽く聞こえました。そんな父を、周りの人達はバカにした。それはある意味、当然の報いかもしれませんが、私はどうしても彼らを見返してやりたかった。悔しかったんです。だから自分が起業家になって、成功してやろうと思いました。

大学を中退

―大学時代からビジネスをしていたのですか。

西山:そうです。早くビジネスで成功して、見返してやりたかったんです。だから大学に入学して、いろんなビジネスをしました。
 具体的には、六本木のディスコを貸し切ってパーティーを開いたり、サークルを集めて学生向けカードを作りました。毎日のように企業に営業に行って、仕事を取ってきました。そして友達と一緒に麻布十番にワンルームマンションを借りて、会社を作りました。
 この当時、何かやりたいという気持ちが抑えられなかった。でも所詮は、大学生の「会社ごっこ」。そこで色々と悩んだ末、20歳で大学を中退して、不動産会社にいったん就職しました。
 なぜ不動産会社に就職したかというと、不動産は若くて独立しやすい業界だったからです。また私が選んだ会社は、30名規模の小さな会社でした。なぜなら早く独立したかったので、会社全体が見渡せる規模がちょうど良かった。大きな会社に入ってしまうと、お金の流れや仕事の流れがつかみにくいでしょう。だから体系的に捉えるために、小さな会社を選びました。
 そしてその会社で1年ほど働きました。社長のベンツを洗ったり、右翼事務所に家賃を取り立てに行ったり、いろんな経験をしましたね(笑)。独立したかったから、一生懸命働きましたよ。また自分が独立した時を考えて、経営者の視点で、常に会社を見ていました。つまり「自分だったらこの時はこうしよう」という視点で働いていました。
 そうしているうちに、ある人からとても可愛がられて、独立を勧められました。

ある日、横領事件が

―それで21歳の時に、独立をされたのですね。

西山:そうです。最初はお金が無かったので、会社名義を借りて創業しました。社員は地元の後輩を連れて来て、私を含めて2人。事業内容は不動産の売買仲介です。
 そしてその会社で自分達の資本を貯めて、ついに不動産賃貸管理会社『レインズ』を設立しました。この会社では、主に賃貸の仲介をしました。営業マンを雇って、完全歩合給の実力主義を採りました。
 しかし売上はどんどん上がっていきましたが、社員のモラルは最低でしたね。お客様の前でスポーツ新聞を読むわ、仕事中に平気でパチンコ屋に行くわで、ひどいもんでした。私が注意しても、「だったらこんな会社なんか辞めて、別の会社で働くよ」と。そんな調子でした。ガラの悪い不動産屋でしたね。社員全員が、お金にしか興味がなかった。
 そうしているうちに横領事件が起きたのです。ある日、会社の金庫から600万円が無くなった。早速警察に届けて、調べてもらいました。でも金庫にみんなの指紋が付いていて、誰が犯人なのか分からない。私は2週間くらい徹夜で、社員を問い続けました。「一体誰がやったんだ」ってね。でもいっこうに分からない。そうしているうちに、だんだんとみんながグルだと分かりだした。社員全員が横領事件に関わっているらしいと。そこで結局、社員全員に辞めてもらいました。
 そしたら今度は労働基準局から電話がかかってきました。最後の2週間分の給料が支払われていないって、彼らが私を訴えていた。そして労働基準局に行ったら、彼らがいまして、誰も私の顔を見ようとしない。
 結局、彼らに600万円を払って決着をつけました。でもその時、私はお金がなかった。だからサラ金でその600万円を借りました。もう状況は最悪でしたね。そうしたら彼らが半年後に、同じ事業内容で会社を新たにやっているのを知った。
 すごく悩みましたね。人が信じられなくなった。会社に行くのも恐いし、辛かった。お金もないし、どうしたらいいか分からなかった。
 そして私はその時の失敗の理由を、彼らが営業職人だったからだと決めつけたんです。営業職人を雇ったから、失敗したんだと。自分をそうやって納得させました。
 またちょうどその頃、マクドナルドの経営手法の本を読みました。読んでいくにつれ、そこで自分に足りなかったものがいっぱい書いてあるのに気付いた。顧客本位主義とか、社員を動機付ける仕組み、評価制度など。どれも今まで自分が考えもしなかったことが、そこには書いてあったんです。
 そしてもう本を読んでいるだけではダメだと思い、マクドナルドでアルバイトを始めたんです。週3日ほど、約5ヶ月間かけてマクドナルドで高校生のアルバイトに指導を受けながら、一生懸命に働いた。
 マクドナルドでのアルバイトは、驚きの連続でしたね。一番驚いたのが、「揚げてから7分経過したポテトを捨てること」。それまでは、お客様のためだの、顧客本位主義だの言っていても、内心では半信半疑でした。
 ある日、私は店長に言ったんです。「どうして7分でポテトを捨てるんですか。もったいないじゃないですか」と。そしたら店長が真顔で、「これから何百回も来てくれるお客様に冷めたポテトを出したら、お客様はがっかりするだろう」と言う。それを聞いた私はびっくりすると同時に、働く意味を初めて理解したんです。
 つまり、それまでの私は自分の利益しか考えてこなかった。社員が横領事件を起こしたのも、全て私の責任じゃなかったのか。私の会社では夢が見られない。だからお金しかなかった。最初からお金を横領してやろうという気持ちで、彼らも入社したわけではないのです。全ては自分が悪かったのだと、自分に責任があったのだと、初めてそこで気付きました。

差別化の図れるビジネスをしたい

―失敗しても這い上がってくる、そのパワーはすごいですね。

西山:私は、群れるのが絶対に嫌なんですよ。集団に入って、守られているような雰囲気に耐えらません。だから自分で身を起こすしか方法はないんです。

―その後、どうして不動産から外食という異業種に変わったのですか。

西山:ある経営者の勉強会に参加したのが、きっかけです。その席上、参加経営者全員に差別化戦略を話させる場面がありました。そこで他社との差別化を、私だけが話せなかった。そこでまた衝撃を受けました。
 それまで私がやっていた不動産のビジネスというのは、お客様を接待して儲けていました。でも接待して仕事をもらうのは、結局どこの会社でもいいということです。だから会社の存在価値や他社との差別化など、全く無いに等しい。
 でもマクドナルドと経営者の勉強会での経験から、私はどうしても差別化を図れる顧客本位の仕事をしたかった。そこで外食に目をつけたんです。
 もちろん当初、社員はみな大反対。しかし私は説得し続けました。「不動産の仕事がしたいわけではないだろ。お客様に喜んでもらえることがいいんじゃないのか。とにかくお客様の意見で作るお店を出そう」と。必死になって説得した。
 そしてみんなに納得してもらって、焼き肉店『牛角』一号店を出店しました。でも開店当初は、お客様が全然来なかった。日に売上が1万5千円という日もあった。不安で不安でしかたなかった。
 だけどある日、近所の団地に住んでいるお客様が、「この焼き肉屋ができるまでは、2ヶ月に一回しか焼き肉を食べなかったのに、今では月に1回は焼き肉を食べに来るようになった」と言ってくれたんです。その言葉がものすごく嬉しくてね。自信になったし、これだけの存在価値を生まれて初めて感じました。やってて良かったなと、その時に本気で思いましたね。

制約は解除の対象

―最後に起業家を目指す大学生にアドバイスをお願いします。

西山:まず常識にとらわれないことです。何か新しいことをしようとすると、絶対に壁にぶつかります。その時に不可能だと諦めてはいけない。
 『制約は解除の対象』、私の好きな言葉なんですが、何か制約がでてきたら、それは全て解除の対象であると。無理だと思うことも、一つずつ分解して考えてみると、絶対にその解決策は見つかります。だから全ての制約は解除の対象なのです。簡単に諦めずに、挑戦することが大事です。
 また例え失敗してもいいじゃないですか。私は失敗から全てを学んできました。横領事件が起きて、大変な目に遭った。痛い目にあって、自分に何が足りないかを学んだ。私の財産は、その失敗が全てだと思います。
 ですので、皆さんも若いうちに成功体験を積み、また同時に失敗からの教訓も得て、思いっきり挑戦してください。全ての制約は解除の対象です。頑張ってください!

―今日はお忙しい中、ありがとうございました。