INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

営業力と販売力を前面に、増収増益を重ねる成長ベンチャー
新たな変化に対応し続け、社員誰もが輝ける会社を創りたい
株式会社センス 代表取締役 島瀬 呂史
Sponsored 株式会社センス
オフィスの一角を間借りした社員2名でのスタート以来、持ち前の営業力を強みに増収増益を重ね、社員数十名を有する気鋭のベンチャーへと成長を続けてきたセンス。その一方で、同社のビジョンは決して売上偏重ではないところが興味深い。いまの事業に固執することなく、社員の意見やアイデアを広く受け入れる懐の深さと、時代に呼応して変化していく柔軟なスタンスがその特徴である。社員のモチベーションを常に重視する同社のマインドには、島瀬代表が辿ってきた自身のプロセスが色濃く反映されていた。
―御社の事業内容を教えてください。
主に通信回線の営業・販売を行っています。SONYの「NURO光」などの通信商材を中心にしたダイレクトセールスが主な事業です。
また、携帯ショップへの営業支援を行う「光ヘルパー事業」も積極的に手掛け、2つの事業を柱に2012年の創業以来、増収増益を重ねています。そのほか、グループ会社で求職者と企業をつなぐ求人サービスも展開するなど、事業ドメインを広げながら成長を続けていますね。
また、携帯ショップへの営業支援を行う「光ヘルパー事業」も積極的に手掛け、2つの事業を柱に2012年の創業以来、増収増益を重ねています。そのほか、グループ会社で求職者と企業をつなぐ求人サービスも展開するなど、事業ドメインを広げながら成長を続けていますね。
―創業するまでの島瀬社長の経歴を教えてください。
私は宮崎で生まれ育ち、高校を卒業して18歳で上京しました。地方の狭い世界で当たり前の暮らしを送るのが嫌で、「お金を稼ぎたい」「もっと大きくなりたい」という漠然とした思いがあったんですね。
でもどうすればそれが叶うのか、何をすればいいのか、当時の自分にはわかりませんでした。それでとりあえず、東京に出ていこうと思ったんです。
そして大手の某パンメーカーに就職。東京の工場勤務を希望して、寮に入りました。寮は2人部屋で、同室になったのが、偶然にも同じ宮崎から出て来ていた10歳上の先輩でした。
1年ほど経ったある給料日の日に、何気なしに先輩の給与明細を見せてもらうことがあって…。すると給与の金額が、なんと自分と3~4万円しか変わらなかったんです。
これはショックでした。同じように宮崎から出て来た10歳上の人の給料がこれだと…。目の前にいるのは、まさに10年後の自分そのものだと感じたんですね。
その先輩には悪いけれど、自分は10年後にこんなふうにはなっていたくない…。そう思い、工場を辞めようと決めたんです。もちろんお金もそうですが、自分がもっと成長できるような仕事をしたいとその時は強く思いましたね。
でもどうすればそれが叶うのか、何をすればいいのか、当時の自分にはわかりませんでした。それでとりあえず、東京に出ていこうと思ったんです。
そして大手の某パンメーカーに就職。東京の工場勤務を希望して、寮に入りました。寮は2人部屋で、同室になったのが、偶然にも同じ宮崎から出て来ていた10歳上の先輩でした。
1年ほど経ったある給料日の日に、何気なしに先輩の給与明細を見せてもらうことがあって…。すると給与の金額が、なんと自分と3~4万円しか変わらなかったんです。
これはショックでした。同じように宮崎から出て来た10歳上の人の給料がこれだと…。目の前にいるのは、まさに10年後の自分そのものだと感じたんですね。
その先輩には悪いけれど、自分は10年後にこんなふうにはなっていたくない…。そう思い、工場を辞めようと決めたんです。もちろんお金もそうですが、自分がもっと成長できるような仕事をしたいとその時は強く思いましたね。
―それからどうしたのですか。
新しい仕事を探そうと、ネットの転職サイトなどを検索しましたが、最初は営業のチェックは入れずに探していたんです。営業はやったことないし、人に頭を下げるばかりのイメージで自分には無理だと(笑)。
でもやりたい仕事や会社はなかなか見つからず、考え直して営業職にもチェックを入れて探してみると、1つ目を引く会社があったんです。そこには、「コツコツ足でかせぐ、月100万円!」とありました。
…胡散臭いな、と最初は思ったのですが、面接してくれた社員がしっかりした方で、これなら大丈夫なのかな、と思ってお世話になることに。今と同じ通信回線営業の会社で、20歳での入社でした。
私は営業経験こそありませんでしたが、「負けたくない」という思いだけで必死にセールスを重ね、3カ月目に初めて歩合が入った給与の明細を渡されて、驚きました。
なんと手取りで50万! 工場での仕事しか知らなかった自分にとっては衝撃で、やればこれだけもらえるという営業の醍醐味を知ることになったんです。
自分が頑張りさえすれば、結果として自然とお金はついてくる。営業というのはなんてハッピーな仕事だと思って、現場に足を運ぶのも楽しくなりました。
そして入社して半年後にはトップセールスを獲得。初年度の年収はいきなり1,000万を超え、12か月後の21歳でマネージャーに昇進。当時史上最年少かつ最短期間での昇進となり、50名以上の部下を率いるポジションに就くことができたんです。
でもやりたい仕事や会社はなかなか見つからず、考え直して営業職にもチェックを入れて探してみると、1つ目を引く会社があったんです。そこには、「コツコツ足でかせぐ、月100万円!」とありました。
…胡散臭いな、と最初は思ったのですが、面接してくれた社員がしっかりした方で、これなら大丈夫なのかな、と思ってお世話になることに。今と同じ通信回線営業の会社で、20歳での入社でした。
私は営業経験こそありませんでしたが、「負けたくない」という思いだけで必死にセールスを重ね、3カ月目に初めて歩合が入った給与の明細を渡されて、驚きました。
なんと手取りで50万! 工場での仕事しか知らなかった自分にとっては衝撃で、やればこれだけもらえるという営業の醍醐味を知ることになったんです。
自分が頑張りさえすれば、結果として自然とお金はついてくる。営業というのはなんてハッピーな仕事だと思って、現場に足を運ぶのも楽しくなりました。
そして入社して半年後にはトップセールスを獲得。初年度の年収はいきなり1,000万を超え、12か月後の21歳でマネージャーに昇進。当時史上最年少かつ最短期間での昇進となり、50名以上の部下を率いるポジションに就くことができたんです。
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