INTERVIEW 業界別起業家インタビュー
西郷隆盛がそこにいた!
株式会社エイチ・アイ・エス 代表取締役会長 澤田 秀雄
※下記はベンチャー通信3号(2001年5月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
―具体的には何のビジネスをしたのですか。
澤田:まずドイツに来る日本人向けに通訳やガイドをしました。当時日本人は英語しか話せないので、ドイツ語を話せる私は需要が高かったですね。そのうち個人相手ではなく、団体で行う方式に変更して、『日本語ガイドのナイトツアー』を企画しました。顔見知りのホテルのスタッフに頼んで、私の作ったパンフレットを配ってもらい、ビアガーデンやレストランに話をつけ音楽やショーの交渉をしました。もちろん関わってくれた人には、成功報酬でお金を渡しました。これは儲かりましたね(笑)。月に100万円以上になりました。それを1ヶ月か2ヶ月間続けた後、また旅に出るということをしていました。だから短期の学生ベンチャーみたいなものです。
―その頃の経験がもとで、本格的に起業を志したのですか。
澤田:そうです。その間に日本人のビジネスマンに多く接したり、自分でもそういう学生ベンチャーみたいなことをして、ビジネスって意外と面白いなと思いました。大変だけど、面白かったですから。
―その大学時代の一連のマネジメントで貯めたお金は、旅行以外には何に使ったのですか。
澤田:株に投資しました。ちょうどその頃は石油ショックが原因で世界の株が暴落していた頃だったのです。もちろん日本の株も暴落していました。そこで株を買おうと思い、図書館で株の流れなどを勉強したのです。色々と検討した結果、買ったのがフォルクスワーゲンの株と日本の日立の株です。その株が半年か一年くらいして倍になりました。そして株に投資したお金が何千万円か貯まったので、日本に帰ってビジネスをしようと思い立ったのです。
―日本に帰って、初めは毛皮の貿易をやろうとしたんですよね。なぜ貿易だったのですか。
澤田:貿易だと海外に行けるじゃないですか(笑)。仕事のついでに旅行ができますし、広く世界を見れますしね。だから初めは商社のような仕事をしたかったのです。しかしちょうどその時にワシントン条約が採択されて、毛皮の輸入が厳しくなったので、事業は断念しました。そこで今度は旅行業をすることにしました。でも私は旅行が大好きなので、本当は旅行をビジネスにしたくなかった。でも当時日本からヨーロッパに行くのに往復70万円くらいしたのです。私がドイツいた時にそんな値段は考えられなかった。日本の場合は規制によってノーマル料金というのが設定され、お客様は非常に高い料金を払わされていました。私はこの状況がとても腹立たしかった。どう考えてもおかしいと思ったのです。同時にそこにビジネスチャンスも感じました。これから日本人の海外旅行は飛躍的に伸びると予測したのです。
―格安航空券というのは、団体割引という形で安く買って、それをばら売りしたのですか。
澤田:そうですね。当時は仕入れ方法に2通りありました。1つは団体料金で安く仕入れてきて、それを個人にばら売りするという方式。もう一つは、マイナーな航空会社のチケットを仕入れてきて、それを売る方式です。当時人気のないパキスタン航空とかは安かったですから、そういう飛行機会社から仕入れてきました。
―団体料金で安く仕入れたチケットを個人に売るとなると、業界からの圧力があったのはないでしょうか。
澤田:ありましたよ。裏でむちゃくちゃ言われていましたから(笑)。なんであんなに安いんだ、危ないのではないか、など色々なことを言われましたね。それに大手の旅行会社から航空会社に圧力をかけられて、一時は仕入れができなくなりました。
―どうやってその圧力を克服したのですか。
澤田:幸いなことに航空会社はたくさんあるので、仕入れが止まった会社のチケットは売らないようにして、代わりに海外の航空会社のチケットを中心に販売しました。それに仕入れが止まっても、色々な代理店を使って迂回して仕入れれば何とか仕入れることができました。あの手この手を使って仕入れるのです(笑)。でも業界の圧力は相当なものでしたね。
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