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INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

株式会社ファーストリテイリング 代表取締役会長 柳井 正

やる前から考えても無駄

株式会社ファーストリテイリング 代表取締役会長 柳井 正

柳井正は根っからの異端児だった。高校時代のあだ名は「山川」。人が山と言えば、自分は川。人と同じことはしない。実家の家業を継いだ後も、親の言うことには耳も貸さず、ただ自分の目だけを信じた。香港で出会ったSPA(製造小売業)。世界を見渡せば、年商数千億のカジュアルチェーンは全てSPA。「だったら日本のチェーン店がやっていることは全部間違っている」。そう考えて、日本でSPAの巨大チェーンを築くことを決意する。そんなユニクロは、2001年の売上高が4000億円を突破した。ユニクロの柳井正とは、いったいどんな男なのか。その秘密を探ってみた。
※下記はベンチャー通信8号(2003年7月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

―早速ですが、柳井さんは小さい頃、どんな少年だったのですか。

柳井:おとなしい子供でしたよ。3人兄弟で、姉と妹がいたんです。だから男の子は僕が一人。大事に育てられたんで、やわな男の子でした(笑)。また住んでいたのは、山口県の地方の商店街。うちの親父も商店街で紳士服の商売をしていました。だから商売と日常生活が密着していたんです。小さい頃は商売にまったく興味はなかったけど、毎日のように商売の話を聞いていたので、自然と商いの感覚は身に付いていたと思います。でも小さい頃は、商売っていうのは、あまり儲からないんだなっていうのが実感でした。

―商売にあまり良いイメージは持っていなかったんですか。

柳井:そうですね。商売をしていると、価値観の尺度がお金になってしまう。うちの親父も「お金がないのは首がないのと同じだ」とか言っていました。そういう考え方には、子供ながらに反発心はありました。

 またうちの親父は紳士服店以外にも土建屋をやったりと、いろんな商売をしていました。政治も好きで、国会議員の後援会長もしていた。地方の商売なんで、政治的な面でいろんな物事が決まったりするんです。要は人間関係なんです。そういった政治的な人間関係にも反発心がありましたね。だから自分で商売をしようと思った時も、親父とは違うやり方で商売をしたいと思った。

―大学時代の将来の夢は何だったんですか。

柳井:特に夢は持っていませんでした。僕は典型的な無気力学生だったんです(笑)。大学の授業もろくに行かず、麻雀やパチンコをして無為に過ごしていましたよ。自分で商売をしようなんて全く思ってなかったです。どうしたら仕事をしないで生きていけるかを考えていたくらいですから。

―就職活動は、どのようにしていたんですか。

柳井:就職活動はしませんでした。仕事をしようという気持ちが全くなかった。だから就職活動もせずに、大学4年生になった。そうするうちに親父が「大学を卒業したらどうするんだ」って言ってきたんです。「何も決めてない」って言うと、「じゃあ、ジャスコに入れ」って言うんですよ。 その当時、親父はショッピングビルをやっていて、そのビルの共同経営者がジャスコ系列の人だった。それでその人の息子もジャスコに入社するから、一緒に入れって言う。僕も特に行きたい会社なんてなかったから、そのままジャスコに入社したんです。

―実際ジャスコに入社してみて、どうでしたか。

柳井:入社したんですが、すぐに辞めてしまいました。学生気分が抜けきらずに、働くのが嫌で嫌でしょうがなくなり、半年くらいで辞めた。

―会社に合わなかったんですか。

柳井:いえ、ジャスコの社員の方は仕事に熱心な方が多くて、会社自体も一生懸命に商売をしている会社だったですね。ただ僕が仕事に対する意欲が持てなかったんです。たとえジャスコで店長になったとしても本当の実力が身に付くかどうか疑問だった。そういう状態だったんで、辞めることにしました。
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