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INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

株式会社IT 代表取締役 河野 仁義 / 澤本 拓実

「不可能を可能に」を信条とするベンチャー経営者からのメッセージ

自分の可能性を信じ続ければ、未来は必ず切り開ける

株式会社IT 代表取締役 河野 仁義 / 澤本 拓実

Webサイトの制作をはじめとし、インターネットを通じた集客・採用支援を主力事業とする株式会社ITは、2021年6月に立ち上がった会社。延べ500社を超えるWebサポートを実施し、英会話スクールも手がけている。同社代表の河野氏は、「人々の可能性を引き出す存在(会社)でありたい」と話す。そうした考えの背景には、自身の実体験から得られた想いがあるという。それはどのような想いなのか。もう一人の代表者である澤本氏を交え、会社を立ち上げた経緯や今後のビジョンもあわせて聞いた。

現実を目の当たりにして、味わった大きな挫折

―事業内容を教えてください。

河野:Webサイトの企画・制作をメインに、システムやアプリの開発を通じた集客・採用支援を行っています。また、オンラインによる英会話スクールも手がけています。2019年に個人事業主として独立し、2021年6月に澤本と共に、会社を立ち上げました。

澤本:大学卒業後、私は海外就職を目的に海外へ渡航していました。河野もまた、大学在学中から海外を回っていました。コロナ禍を機に私が帰国して数年ぶりに河野と再会し、起業理由に込められた彼の想いと自分自身の想いが合致し、この会社を設立したという形です。

―どのような想いだったのですか。

澤本:「多くの人に、自分の可能性を信じて夢を実現できる場を提供したい」という想いです。自分自身も大学在学中の就職活動では1社も内定をもらうことができず、大きな挫折を味わいました。何かを変えたいという想いは強くなり、海外就職のためにカナダへの移住を決意しました。異国の地から見た日本に対して、世界に比べて圧倒的に若者が挑戦できる、夢を追える場がないと感じていました。

河野:私は高校も大学もサッカーのスポーツ推薦で入学し、プロになる夢を抱いていました。しかし、左膝の半月板損傷によってサッカー人生から離脱せざるを得ない状況になり、悔しさが残るサッカー人生でした。大学1年生のときにサッカーを辞め、その後、自分の可能性を再確認するべく、日本を離れて世界を回り、そこで積み重ねたさまざまな体験が私を奮い立たせました。

 サッカーを辞めてからの私は自分の武器を見つけ出すための行動に命をかけていました。なぜならば、サッカーという武器でしか生きてこなかったからです。そこで私は、ありとあらゆる挑戦をします。例えば、英語が全くと言っていいほど話せない状態で、タイに行き、同世代の人が世界中から集い、環境問題など世界が直面するさまざまな社会課題を議論する「国際会議」に参加したことがありました。英語でスピーチする登壇者の姿が眩しく、まずは、英語を勉強する決意が固まりました。同時に、見聞を広めるためにさまざまな体験をしたいと考え、ラオスに渡航。ラオスでは手売りで日本製の石鹸を販売していました。また、多くのITベンチャーが集まるアメリカ・シアトルに行った際は、アマゾン社やマイクロソフト社の現地社員と一緒に数ヵ月間、共同生活をし、毎晩、海外マーケティングや開発知識の吸収に没頭する日々を送っていました。

「自分に不可能なものはない」再燃した闘争本能

―そうした体験を通じて、河野さんはなにを得ましたか。

河野:単純ですが、「己に不可能なものはない」という闘争本能を呼び覚ますことができました。サッカーを諦めたときは、夢を失っていましたから。それでも海外に行き、英語を猛勉強し、石鹸を売ったラオスでは、片言のラオス語でも熱意を込めて石鹸を売ったという達成感を味わいました。シアトルでは、ルームメイトであるシステムエンジニア達と「いつか必ず、共に世界に衝撃を起こそう」と誓いを交わしました。サッカー選手の夢は諦めましたが、こうしたさまざまな経験のおかげで、次はビジネスの世界で人生に衝撃を起こしていこうと、考えをシフトできました。その甲斐もあって、TOEICの点数も、渡米する前の半年間で 250点から650点まで伸ばし、再び「国際会議」に参加した際には、最終登壇者としてスピーチできました。

澤本:私は就職に失敗したという挫折から、フィリピン留学では英語を懸命に学び、TOEICスコアが200点から780点まで向上しました。またカナダでは、韓国系留学支援会社で働きながら、 韓国語を勉強し、韓国語能力検定資格を取得。レストランの仕事では「生の英語」を学びました。何もできなかった自分がもがき、挑戦することで自分の可能性に気づけました。そういった挫折をバネに前進してきたので、河野の「多くの人に、自分の可能性を信じて夢を実現できる場を提供したい」という想いに共感できましたね。

「衝撃」を感じるほどの、成長を遂げてほしい

―この6月で会社設立から4年目に突入します。ITはどのような会社に成長しましたか。

河野:現在、15名の従業員が働いており、全員が自分の可能性を信じてイキイキと働く会社になれていると感じます。彼らの多くは、居酒屋店員、バーテンダー、サウナのロウリュウスタッフ、警察官、大手ガス会社など他業界から転身を図り、「変わりたい。挑戦したい。自分はもっとできるはず」という可能性を信じて当社に入ってきました。彼らのがむしゃらながんばりのおかげで業績は順調に拡大し、継続サポートさせていただいているクライアント企業の数は1年半で250社にまで増加しました。がんばりに見合った評価は報酬として支払っており、月収100万円超の社員もいます。社員の物心両面の幸せを追求する会社であり続けられるよう、今後も成長したいですね。

―社会で活躍したいと考えている若者に、メッセージをお願いします。

河野:私の好きな言葉に「Impossible is possible(不可能を可能にする)」という言葉があります。私も澤本も、いま夢に向かって歩めているのは、最終的には「自分を信じること」ができたからです。過去の私たちと同じように、挫折によって自分に自信をなくしてしまっている若者は多いと思います。「自分の可能性を信じ続ければ、未来は必ず切り開ける」ということを、ぜひ伝えたいです。

澤本:当社はいま、ITと語学教育の領域で事業を展開していますが、1日でも早く、当社サービスを世の中の人に使っていただくために、夢を持って挑戦できる仲間にどんどん加わってもらいたいと考えています。そういった仲間が集まり、熱狂できる環境があれば上場という通過点も達成できると思っています。当社は「impact together」を経営ポリシーに掲げていますが、私たちと一緒に「衝撃」を感じるほどの成長を遂げてほしいという想いからです。「得意なことがない。人生、何かを変えたい。挑戦したい」と思っている方々は、ぜひ一度、当社へご連絡ください。みなさんの前向きで熱い気持ちを私たちはしっかり受け止めます。一緒に夢を叶えていきましょう。
PROFILE プロフィール
河野 仁義(こうの まさよし)プロフィール
1996年、兵庫県生まれ。幼少期からサッカー選手になることだけを夢見てきた。大学までは「サッカー推薦」で進学するも、怪我によりサッカー人生から離脱。その後、海外経験を通じて英語やITスキルを学ぶ。アメリカから帰国後すぐに個人事業主としてWeb制作・SNSマーケティング事業を展開。その2年後、2021年に澤本氏と共に株式会社ITを設立し、代表取締役に就任。
澤本 拓実(さわもと たくみ)プロフィール
1996年、兵庫県生まれ。幼少期から始めたサッカーを高校時代まで続ける。大学では英語を学び、卒業後は海外就職を目的に海外へ渡航し、現地で働く。2021年に河野氏と共に株式会社ITを設立し、代表取締役に就任。
企業情報
設立 2021年6月
資本金 1,000万円
従業員数 15名
事業内容 システム開発、SNSマーケティング、プロジェクト、LP・HP制作、Webアプリケーション開発、オンライン英会話スクール、Webコンサルティング
URL https://www.impact-together1.com/
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