ベンチャー通信Online > 起業家インタビュー > 著名起業家 > カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二

INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二

感謝の気持ちを忘れずに、コツコツと地道に継続し続ける

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二

※下記はベンチャー通信18号(2006年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

―どうして、そんなに欲がないんですか?

宗次:私は小さいころに徹底して鍛えられたんですよ。雑草を食べて育ちましたから。15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。でも、その15年間で、私は徹底的に鍛え上げられたんです。

私は両親の顔を知りません。親がいなくて、孤児院で育ったんです。そして3歳の時に、宗次姓の養父母に引き取られました。でも、その養父がすごく荒れた性格でした。数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。

そして残された私は養父と二人暮しをしました。まさに電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。自宅も家賃が払えずに追い出されるので、半年で転々とする生活でした。そんな生活を送りながら、「将来は誰にも頼らずに一人で生きていかなければ」と強く思いました。

学校から弁当を持ってくるように言われた時は、貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありました。また家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。当時は食べたいものが満足に食べられませんでした。ごちそうといえば、煮干だったんです。そんな信じられないような生活が15歳まで続きました。

すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった。

―その生活を抜け出すきっかけは何だったんですか?

宗次:高校に入学して、同級生の家でアルバイトをさせてもらったんです。ちょうど私の同級生が豆腐屋の息子だったんです。そこで早朝にアルバイトをさせてもらいました。毎朝その豆腐屋でアルバイトをさせてもらって学校に通いました。そのお金で高校の学費も払うことができました。もともとお金がなかったので、高校進学は諦めていたんですが、担当の先生に強く勧められて試験だけ受けてみたんですね。学費も自分で稼げるようになったので、何とか無事に高校は卒業できました。また、初めて自分でお金を稼いで、本当に嬉しかった。それまでは食べたいものが満足に食べられない生活だったので、お金を稼いで少しは生活も楽になったんです。

そんな義父でも、大好きだった

―ようやくドン底の生活から抜け出すことができたんですね。

宗次:そうですね。またちょうどその頃に、養父も亡くなりました。ほとんど栄養失調に近い状態で亡くなりました。死因はいちおう胃ガンだったんですが。

でも、そんな荒れた養父でも、私は大好きだったんですよ。暴力も振るわれましたが、私は大好きだった。職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買ってくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。

―でも、そんな少年時代を過ごして、よくグレなかったですね。

宗次:勇気がなかっただけだと思います。気が小さかったんですよ。単に。
※このサイトは取材先の企業から提供されているコンテンツを忠実に掲載しております。ユーザーは提供情報の真実性、合法性、安全性、適切性、有用性について弊社(イシン株式会社)は何ら保証しないことをご了承ください。自己の責任において就職、転職、投資、業務提携、受発注などを行ってください。くれぐれも慎重にご判断ください。