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INTERVIEW 業界別起業家インタビュー

株式会社ハイパーインターネッツ 代表取締役 家入 一真

生涯を懸ける夢を20代で見つけ出し、最短距離で成長を目指せ

株式会社ハイパーインターネッツ 代表取締役 家入 一真

年商34億円超のITベンチャー、paperboy&co.を創った家入一真氏。2008年12月、彼は同社をジャスダック上場に導き、同市場の最年少社長(当時29歳)となった。しかし、上場からわずか15ヵ月後の2010年3月、家入氏はpaperboy&co.の代表権を返上。翌月に飲食業のパーティカンパニーを設立し、カフェ・レストラン事業をスタートした。現在はハイパーインターネッツの共同代表として、※クラウドファンディングという手法で個人の表現活動を支援している。新しい事業を創り続ける家入氏に、起業の理由、アイデアを事業化する方法、若者へのメッセージなどを聞いた。
※クラウドファンディング:インターネットを活用して不特定多数の人々から多数の小口支援を募る行為・手法のこと。一定額が集まったプロジェクトのみを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。
※下記はベンチャー通信47号(2012年5月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

―家入さんはもともと起業を目指していたのですか?

家入:いえ。学生時代は画家を目指していたので、会社経営なんて考えたこともありませんでした。最悪、地元の博多駅前で趣味のオカリナを吹いて、小銭を稼いで生活したいと思っていました(笑)。実際は東京芸大の受験に2連続で失敗し、20歳で地元のデザイン会社に就職。平凡に働くつもりだったのですが、一人前の社会人になれませんでした。朝寝坊はするし、頼まれた仕事がちゃんとできない。そのうちに会社をクビになり、転職を繰り返すように。自分には会社勤めが向いていないと痛感しましたね。その一方、22歳の時に結婚し、翌年に子どもが生まれました。そして、家族の近くで仕事をするため、自宅のワンルームマンションでレンタルサーバー事業を始めたのです。

―数あるビジネスの中からレンタルサーバー事業を選んだ理由を教えてください。

家入:偶然です。自宅で始められる仕事を探していたところ、書店でレンタルサーバービジネスのマニュアル本をみつけたんです。中を読むと、事業の始め方から運営方法まで丁寧に書いてある。このマニュアル通りにやれば、少しは稼げると思いました。でも、どこにでもあるレンタルサーバーを提供しても能がない。そこで「ロリポップ!」という新しいコンセプトのサービスを立ちあげました。この工夫が成長の原動力になりましたね。

―なぜ後発サービスの「ロリポップ!」がヒットしたのでしょうか。

家入:Webサイトのデザインなど、クリエイティブが支持されたのだと思います。本来、レンタルサーバーの申し込みページがにぎやかである必要はありません。実際、当時は機能だけをアピールした無機質なページが主流でした。でも、「女性や学生が普通にホームページを作る時代が来る」と僕は予想していました。だから、あえて変なWebサイトを作ったんです。「ナウでヤングなレンタルサーバー」という意味がわからないキャッチコピーを目立たせて、気持ち悪い小人のキャラクターを入れた(笑)。さらに「初期設定料3000円(女性は1500円)、月額250円」のプランを用意し、価格を当時の業界最安値に設定しました。すると、まず多くの学生が使ってくれました。そこからネット上のクチコミでどんどん利用者が広がっていきましたね。

―創業期から順調に成長してきたのですか。

家入:いえ。次第にサポートが追いつかなくなり、悪評が広がってしまいました。デザインから開発、サーバー管理、ユーザーサポートまで、すべて僕ひとりでやっていたので、だんだん手に負えなくなってきたんです。デザインや開発は好きなので徹夜でやるんですが、サポートは苦手でしたね。そうやって、ユーザー対応を後回しにしていたら、「あそこはサポートが悪い」という評判が瞬く間に広がってしまった。これじゃあマズイと思い、社員を採用しました。それが現在の社長である佐藤です。彼の対応のおかげで、ユーザーからのクレームが激減。会社も順調に成長していきました。そして、設立4年目の2004年に転機が訪れます。GMOインターネットグループに参画し、福岡から東京へ進出したのです。福岡ではのほほんと経営していたので、環境が一変しましたね。

―どのような変化があったのですか?

家入:福岡にいた頃は、起業家との出会いがありませんでした。でも東京には、同世代の起業家がたくさんいる。みんな「バイアウトだ」、「上場だ」なんて言って、貪欲に成長を目指していた。僕の負けず嫌いの血が騒ぎ、paperboy&co.拡大のエネルギーになりました。もともと僕は不登校で高校を卒業していないんですよ。家も貧しかったので、強いコンプレックスを抱いていた。だから、同世代には負けたくないし、認められたかった。その気持ちが良い方向に作用したんだと思います。
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